衆議院選挙

郵政民営化法案だけに焦点をしぼり、直接、この法案に対しての国民の信を問う小泉首相の方法は、ほとんど国民投票を求めているように見えてくる。郵政国会にも、本当なら国民投票法案が提出されていたらしいから、ひょっとすると、郵政民営化を論点とする戦略はダミーであって、国民投票法案への道筋を付ける、意識付けの戦略なのではないかと感じてしまう。
その先にある、憲法改正への布石としか思えない。

日弁連憲法改正国民投票法案に関する意見書
http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/sytyou/iken/05/2005_14.html

 「自由学園」は著名な略称、商標無効と最高裁差し戻し

滝井裁判長は「ある略称が、本人を指し示すものとして一般に受け入れられていれば、他人が商標登録できない著名な略称に当たる」との初判断を示し、「『自由学園』は原告を示すものとして一般に受け入れられていたと見る余地がある」と言及した。このため、差し戻し審では、商標登録を無効とする逆転判決が言い渡される公算が大きい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050722i306.htm
yomiuri onlineより

以前から、滝井繁男裁判長に注目している。

http://d.hatena.ne.jp/eidostetsuro/20050127#p1
http://d.hatena.ne.jp/eidostetsuro/20040213#p1

が、今回の判決もユニークなものと感じる。
また、自由学園の校舎の設計者である、遠藤新氏(フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルの実施担当されている)が活躍されていた、昭和初期の時代について考えてみたいとも思っている。

 大阪中央郵便局「現状保存を」研究者団体が意見書

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005060900122&genre=K1&area=O10
京都新聞HPより

少し前に、評論家の猪瀬直樹氏がメディアで、郵便局の非効率経営の最たるものとして、東京と大阪の中央郵便局の利用形態(駅前で、低容積で、郵便専用の施設)を、糾弾していましたね。経済合理性から言えば、反論は何も無いけれど、歴史はお金を出しても買えないしね。
最近、昭和初期の建築物のコンバージョンの仕事が続いていて、この時代のこと深く知りたいと感じている。

 小谷廣代・Liisa・猪原秀彦+element「銅を刷る・銅をまとう・銅を叩く」展を見る

会場:シェ・ドゥーブル
大阪市西区阿波座1-9-12
5月24日〜6月25日(12:00〜24:00)日曜休廊

会場のシェ・ドゥーブルは小谷廣代さんのお店で、フランスの家庭料理を出すカフェ&ギャラリーになっているので、お店自体が作品という感じですね。

展覧会のタイトル「銅を刷る・銅をまとう・銅を叩く」は三人それぞれの作品のジャンルと制作行為の関係のようなものを示している。
銅を刷る=銅版画=小谷廣代
銅をまとう=指輪を中心としたジュエリー=Liisa
銅を叩く=植物を意識した家具とオブジェの中間体=猪原秀彦+element
僕も、銅版画制作が好きで20代のときは特に集中して作っていたので、銅版画を手掛かりとして見ていくと、銅の感触、柔らかさ、腐食する時の変化の感じとか、自分の感覚と馴染んでいくところが好きでしたから、この展覧会のコンセプトは、ストレートに心に響いてきます。銅版画の製版のプロセス(変化していく銅版そのもの)と刷り上げられた版画とは分離しがたく作者のイメージを支配していく。
ジュエリーや家具的なオブジェを作った事は無いけれど、おそらく銅版画の制作のプロセスに似通った作る事の喜び感は共通しているに違いないと想像する。
但し、作るプロセスと表現としての作品の関係をメタな視点として、プレゼンしようと意図した時、どのジャンルでも共通して言えるが、例えば銅版画の場合で考えるならば、刷り上った紙媒体の出来上がった作品として見る人に伝える事は、単なる説明的な図式となってしまい、その図式だけが浮き上がって、見るものをイライラさせてしまうものに陥りがちと思う。この企画のコンセプトが良いなと思うのは、違ったジャンルで同じ銅という素材を使ったコラボレーションとすることで、そのような作為性が意識されてはいるけれど、違うジャンルを互いに補完しつつ、作為性は目立たなくなっていて、別々の作品、作者、テイストでありながら、まとまりのあるものとして、共鳴するところが感じられる。
そして、僕の場合は銅版画を始点として見てしまうきらいはあるけれど、展覧会自体を純粋に見つめてみれば、(人間的感覚の限界として、どれか一つのジャンルを始点として見ざるを得ない部分はあるけれど)、ひとつのジャンルを始点とするメタな視点を形成するのではなく、銅版画(二次元表現)にしても、ジュエリー(二次元と三次元の中間体)にしても、家具的なオブジェ(三次元的な構成)にしても、それぞれが、お互いの構成法を内包していて、見ているうちに、どれが始点(メタな視点)なのか曖昧になっていく。興味深い仕事と感じました。

 サッカーW杯アジア最終予選バーレーン戦勝利

明け方までTV観戦していて、眠いですね。
FWの不振から、ジーコが採ったフォーメーションは、日韓W杯のトルコ戦の形を思い出す。うまく勝てて良かった。複雑なパターンを、きれいにこなしていく選手達の動きに感動ですね。

 「近世建築論集」予約する

編集出版組織体・アセテートさんから出版されている「近世建築論集」予約する。ユニークな出版スタイルの試みと共に、扱われているテーマにも心惹かれますね。本の到着が楽しみです。

近世建築論集 (acetate)

近世建築論集 (acetate)

 JR尼崎駅、1秒単位で遅れ報告 「負担過酷」指摘も

亡くなられた方々の御冥福を御祈りします。
今月になってから、新しいプロジェクトで、よく通うようになった現場は尼崎駅の二つ先の駅近くなので、尼崎駅で乗り換える事も有り(ここは、神戸線宝塚線東西線がT字に重なる複雑なところなので、都合のよいのに乗る為)、振り返ると、少し乗り換える時に、やや殺伐とした感触があり、あまり良い感じをもてないでいたけれど、いろいろな複雑な背景があるんだなと、改めて思いますね。余裕を持って仕事に取り組む環境作りを心がけたいと、感じました。

http://www.asahi.com/national/update/0427/OSK200504260105.html?t1
asahi.comより