「かくれた次元」エドワード・ホール著 古本屋で購入

茂木健一郎さんの思想に刺激受けて、クオリアというカテゴリー作る。

去年年末に近くの駅の本屋「天牛堺書店http://www.tengyusakai-shoten.co.jp/にて「かくれた次元」エドワード・ホール著を880円にて購入。「天牛堺書店」は新刊と古本両方扱うおもしろい本屋である。おまけに店員がやたら発声して、落ち着いて立ち読みできないとか、古本も高価本の時は店員一人が腕組して、鋭い視線を飛ばして万引き防止している、とんでもない店だけど、ここで「村野藤吾原図集-村野森事務所編」をゲットしたこともあり、あなどれない場所である。

「かくれた次元」エドワード・ホールhttp://www.csiss.org/classics/content/13
も、彼のプロクセミックス理論をプランニングの参考書によく引用されているので、おもわず購入した。人間における距離の4区分の相は一度は目にする言葉と思う。「密接距離」「個体距離」「社会距離」「公衆距離」これも原書を読むと「公衆距離」の概念は、あくまで西洋人社会での現象であって、他の国や民族社会でも同じでは無い旨を、きちんと書いておられる。プランニングの参考書とかは、その事に触れてなくて、丸写しのようですね、原書読むべきだな、こういうの経験するとやはり。アフォーダンス理論のギブスンのことも随所に見られ、同時代の志向性が見えてくる。

パラパラ飛ばし読みすると日本のことも良く研究しておられるようだ。1966年に書かれたという時代の雰囲気も何となく伝わる。日本人とアラブ人についての記述はかなり笑える部分もあるが、庭についての記述は短いが理解できる。

竜安寺を見るのは感動的な体験である。人はその秩序、静寂、極度な簡素の修練によって圧倒される。人間と自然がどうしたものか形を変えて、調和の中にあるものとして眺められるのである。ここにはまた、人間と自然の関係についての哲学的伝達がある。庭の石は、どこから眺めてもその一つがいつもかくれているように配置されている(これはおそらく日本人の心への、もう一つの手掛かりだろう)。彼らは記憶と想像がつねに知覚に参与すべきだと信じているのである。

「記憶と想像がつねに知覚に参与」という部分が良いですね。意識の主体が脳に局在しないという仮説に関連するのではないだろうか?