「精神の病と音楽」(阪上正巳著)を読む

まだ途上だけれど、印象的な文章に出会う。音楽療法に関しての本であるが、記述は多岐に渡っていて、音楽療法のこと知ろうと思って、借りてみたが、予想外の世界に触れることができそうである。少し長いけれど一部引用http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4331850226/ref=sr_aps_b_1/250-1748175-0087403

第3章異界としての音楽 ノンヒューマン環境論より
ハロルド・サールズというアメリカの精神科医がいる。(中略)人間精神の発達や統合失調症の治療を考えるとき、従来はもっぱら個人の発達と内面的事象、および対人関係が取り上げられてきたが、彼は著書「ノンヒューマン環境論」http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622021986/ref=sr_aps_b_/250-1748175-0087403#product-detailsにおいて、それをさらに拡大し、犬や馬、樹木などの動植物、家具や機械などの無生物、風景や環境など、つまりは人間以外のノンヒューマンなものまでを視野に入れた議論を展開した。彼によれば、統合失調症においては、そうしたノンヒューマンな環境との混乱がみられ、ノンヒューマンなもの(木や動物)になってしまうのではという不安や、逆にとてつもない不安定感に対する防衛として、ノンヒューマンなものになりたいと願ったりする現象(化身妄想など)がみられるという。(中略)サールズによれば、こうした体験は治療の進展プロセスにおける真の転回点となる。(中略)動植物や無機物にまで遡る系統発生的な退行という言葉から思い当ることはないだろうか。そう、私たちの病者の音楽もまたダイナミックな有機的構造を脱したいわば(もの)的次元に定位するものであった。(後略)

これだけの引用では難解な内容充分伝わらないので、著作をぜひ読んでいただきたいが、僕が最近、「蜂の巣」の事に関して考えていた時の心の有り様の一部は、適切に述べていただいているな、という感触がある。著者の阪上氏はそこにクリエイティブの源泉を観ているのかもしれないし、僕もそう感じる。

「ノンヒューマン」というコンセプト面白いですね。スーパーフラット的な視点に近い感じもする。(哲学者の東浩紀氏のコメント 「存在論的、広告的、スーパフラット的」参照 http://www.hirokiazuma.com/texts/superflat.html
スーパーフラット論から4年経過してみれば、東浩紀氏も転回点を迎えているのか、彼のblogに超越的なものの必要性を肯定する記述がされている。

確かに超越的なものは必要です。しかし僕はそれは決して伝統や国家にも(形而上学)、ニヒリズムにも(否定神学)求めない。これは『存在論的、郵便的』以来の一貫したテーマです。http://www.hirokiazuma.com/blog/
東浩紀氏のblog 2004年02月02日より引用

物凄いストレートですね。では、彼の考える超越的なものとは何なのだろうか?興味ありますね。音楽のように逐次現れてくるような時間性を持った世界に抵抗するような、阪上氏の言うところの「ダイナミックな有機的構造を脱したいわば(もの)的次元に定位するもの」であれば面白いかもしれない。