「マルセル・デュシャンと20世紀美術展」を観る

展覧会と言うより、国立国際美術館が僕の好きな建築家のシーザー・ペリさん設計(日本事務所による)という事で期待して行く。シーザー・ペリさんの建築は、御人柄の明るさと同様に、親しみ易さがあります。パブリックな建築では、なかなか難しい事。今回の国立国際美術館はエントランスのガラスドーム(非常に複雑な形態)以外は全て地下という難しいプログラム。でも、そのことが、観るものにストレートにアート作品伝える仕組みともなって、良い空間になっていると感じる。
地下では人は無意識の領域に近づくのか、地下街やデパ地下の食品売り場の強烈な欲望の消費空間が、そこにはあり、物と人、人と人を融着させるような、意識の領域が薄くなっているような感じがします。
国立国際の地下もメインフロアーのB1Fに降りた時の床の磨かれた小さなモザイク状の赤い石が鮮やかに観客を迎え、私達の欲求を露出させるようです。そしてそれらをペリさんは、声高に主義主張として言われないとこも良いですね。
同じフロアーにはチャイルドルーム、授乳室も備えられ、子育て世代の観客も落ち着いて見れる配慮がある。レストランは元料理の鉄人、石鍋さんのお店、作品見る前にここで食事しましたが、美術館と同じテイストでインテリアまとめられていて、一体感のある演出も良かった。後ショップ含めてここまでは無料で入れるゾーンですから、ここを楽しむだけでも行く価値がありますね。(後はロッカールームがもう少しスペースがあって、コート類も収納できるサイズのロッカーであれば良かったですが)

マルセル・デュシャンと20世紀美術展」を観て
この美術館の柿落としの展覧会にデュシャンを選ばれた理由は、デュシャン自体ほとんど知らなかったので、よく分からなかったのですが、展覧会観た後では、この空間によく合っていると思いました。
地下が人の欲望を開放し、人と物、人と人との距離を近くさせる効果があるということと、デュシャンの作品の根底にある性的なイメージの露出とが、うまくマッチしているように思えました。初期の作品群(大ガラス中心に)は、その性的なイメージを暗示したり、分析的に、断片化し、再構成するような方法がとられていて、大ガラスの放棄後、その作品群のミニチュア(箱庭化とも言えるような)化によって自己のイメージのメタ化のような再操作がなされ、さらにその後ひそかに制作されていたというさまざまな性的イメージのオブジェ群は、分析的な硬さがまったく無くなって、直接的な、触覚的なイメージに変換している。そのメタ化の後の触覚的イメージへの変容の中に、デュシャンを単に過去の作家として、歴史として参照する以上の意味があると感じる。
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