「セルフ・エデュケーション時代」川俣正編著を読む(借りる)

eidostetsuro2004-03-03

イントロダクションから一部引用

「自らが自らの力で学ぶ」とは何か。つまりセルフ・エデュケーションとは何か。このシンプルな問に対して、新たな手法(脱芸術、アートレス)を使って大胆に応答する試みだ。(中略)近年日本などでは、家庭や学校、企業などから離脱しようとする「目に見えない心理」をもち、外へ、新しい共同体=コラボレーションを求めるマイノリティが急増しはじめているのではないだろうか。(中略)いずれのコラボレーションでも共通したコンテンツがある。感覚や身体とは何か。他者や異質な考えをどう受け入れるのか、アクシデントに見まわれながら交渉=折衝をどう持続するのか、フラットなヒエラルキー(平等、対等な立場)とは本当にありうることなのか、新たな自覚と認識を生み出すにはどうすればいいのか。(中略)これは未知の実践への呼びかけなのである。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4845901277/ref=sr_aps_b_/249-5896347-4165120

様々な場所での多様な具体的実践が記載されていて、非常に参考になる。「アクシデントに見まわれながら交渉=折衝をどう持続するのか」という部分は特に興味深い。自分自身の経験でも、建築のこと、仕事のことが深く理解できたのは、勤めていた事務所での理不尽な訴えによる裁判の事務処理への参加が、きっかけであったかも知れないと思うからだ。契約とは何か?所有するとは?という根源的な部分を改めて認識した。現代においては、裁判が最もアートレスでありアートな事柄なのではないのかと思う部分ある。裁判員制度http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/shihokai/kadai/saibaninseido/が施行されれば、より身近にそのことを感じるかもしれない。