郡司ペギオー幸夫著「生成する生命」を読む(借りる)

eidostetsuro2003-12-08

難解でなかなか読み進まない。
彼の「超越的全体に抗いして」というメッセージに対して感じた事。

「超越的全体に抗いして」というメッセージを読んで、最初にイメージしたのは、1960年代の美術活動の「具体美術」の試みでした。僕はライブでは見たことがありませんがTVで白髪一雄という方がロープにぶら下って足で絵具を攪拌する有名なパフォーマンスしてるのを見たことがあるんです。それを見ていて強い抵抗感というか、何か仮想の意識の平面みたいなのを強引に機械的な震動で作り出して、周囲をブラックボックス化することで、作品の自立性を獲得する瞬間を観客とともに共有するみたいなスタイルに、違和感を覚えましたが、郡司さんの言ってることも、とりあえずそれに近いのかなと。それを何とか無限循環みたいなことにならないように、思考を進めているみたいな。そんなん書いて何になる、読んでどうなるとも言えますが。

これを書きつつ、茂木健一郎さんと川俣正さんとの対談を拝聴していて、川俣さんのアートもどこか「システム論の虚点」的なものを常に引きずっているように感じました。そこに一度囚われると、そこから脱却することは至難のことであろうと思う。仮説的なものの布置も「システム論の虚点」的なものの召喚の為になされていると言えなくも無い。
時々関わる、ランドスケープ的な仕事をしていて、僕なりに考えるのは、そのような「システム論の虚点」的なものを持ち込まないことであるのかもしれない。
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